スマトラ アチェ、津波博物館に行ってきた!

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皆さんこんにちは


朝の喧騒が過ぎ去ってホッと一息、コーヒーを飲みながら書いてます。

今日はスマトラ島の一番北、地図でいう一番上にある、アチェ州 についてです。

アチェ、といえば何といっても思い浮かべてしまうのがあの大地震による大津波ではないでしょうか。

2004年12月26日、マグニチュード9.1という大きな地震にみまわれました。
死者22万人、負傷者は13万人。

高さ10mもの津波がアチェを襲い、甚大な被害が出ました。ニュースでも大きくとりあげられましたので、皆さん記憶に残っているかと思います。


papikoの親戚も何人かがこの地震、津波によって亡くなってしまっています。

nanasはアチェには2度訪れていまして、あちこちの親戚の家を巡ったり、観光したりしてきました。

現在は随分と復興が進んで、すっかり綺麗な街並みになっています。驚いたのはアチェに通じる道路の美しさで、日本にいるかのような感覚になるほど整備されています。

これはオーストラリア政府からの支援で造られた道路なのだそうです、どうりで綺麗なわけだわ

ただ街の中にはまだ所々に津波の痕が見られまして、潰れてしまった家屋や、津波で流されてきたガラクタが積み重なっているような場所もありました。

アチェ州は人口500万、敬虔なイスラム教徒が多く、戒律が非常に厳しい事でも知られております。

nanasは「厳しい!」と聞くだけで嫌になってしまうのですが、アチェに行く場合は必ず長袖長ズボン、頭にはスカーフをきっちりと巻いて行きます。

髪の毛を出したり、肌を露出する事はイスラムの女性にとってはご法度ですからね。しかもアチェにかんしては非常に危険なんです。
もし肌や髪を出している所を見つかったら厳重処罰。多分鞭打ちの刑。

観光客に関しては多分大丈夫なのでは、と思いますが、nanasは夫がイスラムですから完璧に守らねばならないのです。

そこら辺の事情は親戚の方々からキツク申し渡されていますので、暑い~、タンクトップに着替えた~い、とイライラしながらも我慢してます。


アチェには津波博物館、がありまして、国内外から大勢の方が訪れています。近代的な博物館で、nanasも行ってみました。

津波の被害にあった様々な物が生々しい姿で展示されていますし、写真なども多く飾られています。

印象的だったのは、日本人のボランティアの人々の写真の多さでした。いかに日本人がこの地震の時にアチェの人々を助け、協力していたのかが分かり、何だか誇らしいような気持ちになりましたよ。

館内でも何人かのスタッフから日本語で挨拶してもらう場面もありまして、嬉しかったです。

津波博物館から海の方へ向かうと、津波によって流され陸に運ばれ、そのまま展示されている大型の貨物船が展示されている場所もあります。
中に入る事が出来て、ここにも津波当時の写真などが展示されています。

修学旅行のような感じの生徒さんが沢山きてました。

それにしても津波の被害がここまでとは、本当に驚きましたし、怖いなと感じましたね。(~_~;)


アチェは津波だけが有名なわけではなくて、他にも様々特徴的な文化、食べ物、名所があります。


長くなってしまいそうですのでまた次回、アチェのお話をしていきますね!


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